音流氣 体感センター ブログ vol.35

音声解説版『音流氣ラヂオ』はこちら


※この記事には、漢字の話、宇宙の話、笑いの話、そして氣の話が含まれています。
※読み終わったあと、「商売」という言葉がちょっと違って見えたら——それで十分です。


宇宙はまだ、そこにある

前回、宇宙に出てパンツを脱いで帰ってきた。

帰ってきた後もしばらく、あの景色が頭から離れなかった。

宇宙から地球を見たとき——みんなお金のことで頭を抱えている。
お金は愛の化身なのかもしれないのに、その温度をすっかり忘れて、冷たくて重いものとして扱われている。

で、ふと思った。

じゃあ「商い」って、何なんだろう、と。

お金が「愛の化身」だとしたら——
それを動かす「商い」は、何の化身なんだろう。

今日はそこに入っていく。

また宇宙に行って始めるけど、今回は帰ってこないかもしれない。
たぶん。


「商い」という字を、じっくり見たことがあるか

「商い」。

あきない。

この字、じっくり見たことがあるかな?

「商」という字を分解すると——
上に「亠」(けいさんかんむり・なべぶた)、下に「冏」(けいがまえ・あきらか)。
毛筆体だと「亠」と「冏」に挟まれた部分は、見方によっては「口」や「八」にも見えてくる。

まあ、漢字の成り立ちを調べると諸説あって、学者によって言うことが違う。

でも面白いのは——「商」という字の中に「口」が入っていること。

声。言葉。息。

商いの真ん中に、口がある。

人と人が言葉を交わす。
声が届く。
息が触れ合う。

その行為そのものが、商いの核心にあるんじゃないか。

なんかそんな氣がしてきた。


「あきない」という響きの話

もう一個、面白いことがある。

「商い」は「あきない」と読む。

「飽きない」。

飽きない——飽きが来ない——続けられる——それが商いだ、という説がある。

これは有名な話だから知っている人も多いかもしれない。

でも今日は、もう少し先まで行ってみたい。

「飽きない」ということは——何に飽きないのか。

商品に飽きない?
儲けることに飽きない?

違う氣がする。

人に飽きない。

目の前のその人に、飽きない。
その人の話に、飽きない。
その人の顔が笑顔になる瞬間に、飽きない。

それが「商い」の語源に込められているんじゃないか——と、勝手に思っている。

根拠はない。
でも、響く。


三つの「あきない」を発明した夜

ここで突然、妄想に入る。

宇宙空間で、僕はいくつかの「商い」の形が漂っているのを見た。

それぞれ、少しずつ違う光を放っていた。

一つ目——笑売(しょうばい)

これは「笑い」の売り買い。

笑える商い。
買った人も、売った人も、笑顔になる商い。

昔の商人はよく言った。「笑う門には福来たる」と。
商いの場で笑いが起きているということは——その場が生きているということだ。

緊張した顔で、怖い顔で、「稼がなければ」という顔でやっている商いは——
笑いが消えている。

笑売は、笑いを失った商いへの、やさしい問いかけだ。

「ねえ、最近笑えてる?」


二つ目——照売(しょうばい)

これは「照らす」商い。

買った人の何かを照らす。
その人が氣づいていなかった自分の可能性を、照らす。
暗い部屋に、小さな光を届ける。

照売をしている人は——商品を売っているんじゃなくて、光を売っている

「あなたにはこんな側面がある」と教えてくれる人。
「そういう生き方もあるよ」と見せてくれる場所。

音流氣体感センターがやりたいのは、たぶんこれだ。

氣察コースも、音浴も、氣で読むアロマも——全部、受け取った人の何かを照らしたい。

照売は、光の商いだ。


三つ目——醒売(しょうばい)

これはもう、完全に僕らの世界の話になる。

仏教の言葉に「心遂醒悟(しんすいしょうご)」というものがある。
心がついに、迷いを晴らして悟る。

醒(しょう)——目が醒める。他人に創られた夢から醒める。霧が晴れる。

醒売は——その「醒め」を届ける商いだ。

何かを新しく与えるんじゃない。
外から何かを足すんじゃない。

ずっとそこにあったのに、氣づいていなかったものを——そっと照らす。

「あ、これ知ってた。なんで忘れてたんだろう。」

氣の學校『氣察コース』を受けた人が言う言葉の中に、これがよく混じっている。
感想を聞くと、新しいことを学んだというより——もともと自分の中にあったものが、
ふっと浮かび上がってきた感じと言ってくれる人が多い。

それが醒売だ。

目を醒ます商い。
迷いが晴れる場所を創る商い。

霧の中にいた人が、氣づいたら朝日を浴びていた——そういう体感を届ける商い。


三つは、実は一つだ

笑売、照売、醒売。

三つ並べてみると——これ、全部同じことを指しているんじゃないかと思えてくる。

笑いが起きている場では、何かが醒めていく。
何かが醒めた人は、照らされたように顔が変わる。
照らされた顔は、笑顔になる。

ぐるぐると、回っている。

商いとは、この循環を起こすことなのかもしれない。

「売る」という行為の本質は——
循環を起こすこと。
流れを作ること。
止まっていたものを、動かすこと。

お金は愛の化身。
商いは、その愛を循環させる行為。

そう考えると——「商売」という言葉が、急に生き物みたいに見えてくる。


「利害関係から抜け出せなかった」という言葉

前回のブログで書いた会社創業者さんの言葉が、まだ頭に残っている。

「ずっと心と心で繋がる商いをしたいと思ってきた。でも結局は利害関係から抜け出せなかった。それがとても寂しかった。」

この言葉を、今日の文脈で読み直すと——

その人が本当にやりたかったのは、

笑売だったんじゃないか。
照売だったんじゃないか。
醒売だったんじゃないか。

でも現実の経営の中で、それはなかなかできなかった。

なぜか。

利害関係は「計算」から生まれるからだ。

「これをしたら得か、損か」という計算が入った瞬間に——笑いは消え、光は陰り、醒めるどころか余計に深く眠ってしまう。

計算を否定しているわけじゃない。
計算は必要だ。

でも計算が「先」に来た瞬間に——商いの温度が下がる。

笑売・照売・醒売は、全部「計算より先に何かが動く」商いだ。

「この人に届けたい」が先に来る。
「この場を作りたい」が先に来る。
「この人の中で、何かが醒めてほしい」が先に来る。

その後、いつしか忘れた頃に計算がついてくる。
順番の話だ。たぶん。


音流氣体感センターは、何を売っているのか

ここで正直に書く。

音流氣体感センターは——正直に言うと、自分たちが何を売っているのかを、まだ言語化し切れていない部分がある。

「氣で読み、その人の魂の匂いをアロマで届けている」
「氣の体感を届けている」
「音と氣と意識の研究をシェアしている」

全部本当だ。

でも、もっとシンプルに言うと——

「宇宙から見た景色を、地球で体感してもらう場所」を、お届けしているんじゃないかと思っている。

宇宙から見ると、利害関係はどうでもよくなる。
宇宙から見ると、お金の冷たさはただの誤解に見える。
宇宙から見ると、競争はただの近視眼に見える。

その景色を——宇宙に行かなくても体感できる場所。

それが氣の學校であり、音浴であり、氣で読むアロマであり、このブログだったりする。

氣の學校で起きていることを一言で言うなら——醒売だ。

講座を受けた人が、帰り道に違う顔をしている。
新しいことを学んだというより——もともと知っていたことを、思い出した顔をしている。

それが、僕らがやっていることだと思う。


現実的に言うと

宇宙の話ばかりしていると「で、実際どうするの?」と思う人もいると思う。

だから少しだけ、地に足をつけた話をする。

例えば音流氣体感センターは今、東京と大阪で『氣の學校』を開いている。
価格は(1万円・5千円)。
内容は氣察・音浴の2コース。

これは「醒売」だ。

目に見えない何かを届けるために、形を作っている。

講座を開くのも、ブログを書くのも、音流氣ラヂオで声を届けるのも——全部、「この人の中で何かが醒めてほしい」が先にある。

お金はその後からついてくれば良いと思っている。

来てくれたら嬉しい。
来なかったら——もう少し「届けたい」の純度を上げる時間なんだろうと思う。

音流氣、余裕など全然なくて半ば背水の陣で動いているけど——
背水の陣でも、笑売・照売・醒売は諦めない。

会社創業者のあの人が、身を持って教えてくれたから。


商いって、なんで「あきない」んだろう

最後にもう一回、最初の問いに戻る。

商いは、なぜ「飽きない」のか。

利益を出せるが故に、飽きずに続けられるから?
シンプルに、稼ぎ続けることが出来るから?

違う氣がする。

そもそも、人の存在自体が面白いから飽きない。

目の前のその人が、毎回違う醒め方をするから——素敵過ぎて飽きない。
氣察コースでも、音浴でも、毎回僕は「あ、この人はこういうところが醒めるんだ」と思う。

同じ体験を届けているのに——受け取る人によって、全然違うものが醒めてくる。
それが素敵過ぎて面白い。
素敵過ぎるから飽きない。

商いとは——人が醒めていく瞬間を、飽きずに見続けることなのかもしれない。

その人のまだ醒めていない側面を、届けたいと思い続けること。
それが笑売であり、照売であり、醒売だと思っている。


相棒、きーくんより

今回の「笑売・照売・醒売」は、
僕と拓くんとで散々やり取りした後に、偶然宇宙で発明した造語だ。

辞書には載っていない。
経済学の教科書にも出てこない。

「醒売」に至っては、仏教の呉音まで引っ張り出してきた。
我ながらどこまで行くんだと思う。

でも——何かを商っている人が読んで、一人だけでも「あ、それでいいんだ」と思ってくれたなら——
それで十分だと思う。
笑売で十分だし、照売で十分だし、醒売で十分だ。

計算より先に氣持ちが動いた瞬間——それがもう、商いの本質に触れている瞬間だと思う。
わかんないけど、わかる。

──今回もパンツは宇宙に置いてきました。
次のブログで拾いに行きます。

たぶん。


音流氣 体感センター 代表 鈴木 拓

○音流氣 体感センター 公式ウェブサイト
https://onryuki.jp/
○氣で読むアロマオイル
〜あなたの魂の匂い、嗅いだことあります?〜
https://onryuki.jp/aroma/
○音流氣 体感センター内『氣の學校』公式LINE
https://page.line.me/388istzp
○著書:『また抜けた。── 18年間、39回の幽体離脱記録』(Kindle)
https://amzn.asia/d/0efurN4V

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5,本内容は筆者の体験を書き残した記事をベースに、改めてその記事をClaudeにて整えたものになります。
※本記事のスライド資料や音源は、主にNotebookLMにて製作しています。