今日のテーマは…
「お金という透明なしるしに込めて、手渡し合う世界」
昔ね、
お金って、重たい金属だったんだ。
「これは金(きん)だから価値がある」
「これは珍しいから高い」って言って、
お金がモノの重さや人の価値を決めてた時代があったんだって。
でも、
ある日、風のように生きてた人がこう言ったの。
「ねぇ、お金って、透明だったらよくない?」
みんな、きょとん。
透明だったら、見えないし、なくすし、困るでしょ?って。
でもその人は笑って言った。
「そうじゃなくて、透明っていうのは、
お金の中に、氣もちがすけて見えるってこと。」
たとえば、こういうの。
そのお金には、「ありがとう」がすけて見える
そのお金には、「あなたの存在がうれしい」がふわっと漂ってる
そのお金には、「ここに来てよかった」があったかく入ってる
だからね、お金って本当は──
手紙みたいなものなんだよ
(書かれてるのは氣のことば)
花束みたいなものなんだよ
(渡されるのは震えの残り香)
しずくみたいなものなんだよ
(落ちたら場がふわっと明るくなる)
そして、透明なお金が生きている世界では・・・
「もらいすぎたら重くなる」
「ちゃんと震えに見合った量だけ流れる」
「氣もちが通らなかったら、流れない」
お金は、もう評価じゃない。
お金は、いま、ありがとうの氣が、
そっと結晶になってくれたもの。
まもなく訪れる昼の時代の世の中は…
お金がうごくとき、
そこにはいつも透明な光とありがとうの音が流れてる。
それが照売であり、笑売であり、氣を売る商いの、あたりまえの姿。
これからの時代、
「お金ってどんなもの?」って聞かれたら、
こう言っていいと思うんだ。
「それは、ありがとうのしずくのことだよ。」と。
・・・
うん、これならきっと、
お金もお金らしく自由に生きられるね。
もしかしたらお金がお金らしく自由に生きたいんだけど、
何となくこれまでの世の中はちょっと生きにくいのかな?って。
そう思ったの。
であれば。
お金もお金らしく自由に生きられる世界を作ってあげたい。