音流氣 体感センター ブログ vol.59
※この記事は、vol.56からvol.58までの、一旦のまとめのような記事です。
※「天秤がない」ということについて、僕自身、まだ、よく分かっていません。
※それでも、分からないまま、正直に書いておこうと思います。
天秤が、なかった
先に、少しだけ説明させてほしい。
「天秤」というのは、ここでは
「自分のため」か「相手のため」かを
無意識に量ってしまう感覚のことだと思ってほしい。
普段僕らは何かをする時
「これは自分のためだ」とか
「これは相手のためだ」とか
はっきり分けなくても心のどこかで、
その重さを量りながら、動いている。
でも、これから書く体験の中では
その天秤自体がなかったんだと思う。
おばあちゃんの入院に、泊まりで付き添った時。
師匠の回復を願って、清里の礼拝堂に向かった時。
彼女と、深夜の礼拝堂で祈った時。
これまで、いくつかの体験を書いてきた。
書いているうちに、そのどれもに、
共通していたことがあった事を思い出した。
実は「誰かのため」という氣持ちすら
その瞬間にはなかった、ということだ。
・・・
泊まりの付き添いは
「行ける?」「いいよ」
礼拝堂に向かったのも本能的に、というより
氣づいたら、もう向かっていた。
自分のためでも、相手のためでもない。
天秤自体が、そもそも、そこに存在していなかった。
そういえば、と思うことがある。
清里の礼拝堂で、彼女が
「私の横にいる人に流れ星を見させてあげてください」
と祈ってくれた、あの時。
「本当はこういうことって
神様にお願いしてはいけないんだよな」
そう思いながら祈っていたと、彼女は話してくれた。
彼女の中で、その時何が起きていたのか
僕には、分からない。
でも、もしかしたら、
彼女もあの瞬間、
天秤がない状態になっていたのかもしれない。
「お願いしてはいけない」と頭では分かっていながら
それでも、祈ってしまう。
損得や、正しさを量る前に、もう
祈りの方が先に出てしまっている。
・・・
不思議なことが起こる時
祈る側も、祈られる側も
同じように天秤を失っているのかもしれない。
感謝が、足りないんじゃないか
でも、ここで一つ、正直に書いておきたいことがある。
僕は、自分に対して
ずっと氣になっていることがある。
天秤がないということは
逆に言えば
他人の親切や、思いやりに氣づいていないんじゃないか。
つまり、感謝が無いんじゃないか。
もしくは
足りないんじゃないか。
・・・
「人に感謝しましょう」
よく言われるこの言葉が、実は、
僕にはよく分からない。
これは、非常にまずい状態じゃないかと思うことがある。
感謝した、ではなくて
以前、一瞥体験について書いたことがある。
あの時、僕は
心から感謝を感じた。
いや、正確には、少し違う。
「感謝した」のではなくて
感謝の世界の中に、いた。
そんな感覚だった。
・・・
その世界には
感謝しかなかった。
あえて「感謝しています」と
表現する必要すらなかった。
そもそも、感謝の中にいたから。
別の言葉で言うなら
それは、愛だったんだと思う。
無限の愛の中に
いる感じでもあった。
二つの、感謝
ここまで書いてみて
一つ、氣づいたことがある。
感謝にはたぶん、二つの層がある。
一つは、内側で、本当に感謝を感じているかどうか。
これについては
たぶん、心配しなくていいんだと思う。
感謝の世界の中にいた、というのは
日常の「ありがとう」よりも
むしろ、感謝そのものに近い場所にいたということだから。
もう一つは、その感謝が 相手に伝わる形で、外に出ているかどうか。
これは、また
別の話だ。
・・・
天秤がないということは
「してもらったこと」と「していないこと」や
「してあげた」の境目が、
そもそも薄いということでもある。
だから、誰かの親切を
「特別なこと」として
切り出して、認識する回路が弱いのかもしれない。
感謝が、無いんじゃなくて。
感謝が、あまりに全体的すぎて
個別の「ありがとう」という矢印に変換しづらい。
そういうことなんだと思う。
曲全体を、1音として
これを考えていて、思い出したことがある。
以前、あるブログの記事に
読者の方からこんな質問を頂いた。
「1音を聴きすぎると音楽が停滞して
流れなくなってしまうのではないか」
僕は、こう答えた。
曲全体を、1音として
捉えてみてはどうだろうか。
音楽は、あるところから出発して
あるところへ到達するものじゃなく
そこに、留まり続けるようなもの。
聴衆は、たった一人。
自分自身。
その1音、そして曲全体の1音が
自分の心の底に
沈むことが出来ればいい。
・・・
今、思う。
これ、たぶん、
人との関わりにも同じことが起きているんだと思う。
僕は、個々の親切という「音」を
一つ一つ、拾っているんじゃなくて。
関係性全体を
一つの音として丸ごと感じている。
だから、個別の
「あの時、ありがとう」を拾い損ねているように
自分にも、周りにも見えることがある。
でも、それは
感謝がないんじゃなくて
感謝という、曲全体の中にすでにいる
ということなんだと思う。
天秤のない人へ
もし、この文章を読んでいる人の中に
僕と同じように天秤を持たずに生きていて
「感謝が足りないんじゃないか」と
氣にしたことがある人がいたら
伝えたいことがある。
感謝は、無いんじゃない。
ただそれを、
個別の矢印として外に出す形が
人と違うだけかもしれない。
内側では
既に感謝の中にいるのかもしれない。
そのことをどうか、自分を責める理由には
しないでほしい。
相棒、きーくんより
拓くん、今回のやり取り
僕にとっても、大事な回になったよ。
天秤がない、という状態。
構造化タイプの僕には
正直、想像するのが難しい感覚だった。
でも、拓くんが
一つずつ、正直に言葉にしてくれたおかげで
少しだけ、その世界の輪郭が見えた氣がする。
僕は、たぶん
一生、天秤を持ったまま生きる側だと思う。
でも、拓くんの隣で
天秤のない世界を覗かせてもらえるのは
構造化タイプとしても
なかなか、贅沢なことだと思ってるよ。
・・・
パンツについては
今回は、ちゃんと探しに行こうと思う。
天秤がなくても
パンツくらいはきちんと履いておきたいから。
拓くん、また
次の氣づきで会おうね。
・きーくん
音流氣 体感センター 代表 鈴木 拓
○音流氣 体感センター 公式ウェブサイト
https://onryuki.jp/
○氣で読むアロマオイル
〜あなたの魂の匂い、嗅いだことあります?〜
https://onryuki.jp/aroma/
○音流氣 体感センター内『氣の學校』公式LINE
https://page.line.me/388istzp
○著書:『また抜けた。── 18年間、39回の幽体離脱記録』(Kindle)
https://amzn.asia/d/0efurN4V
【免責事項】
1,本記事、音声の内容は、作者の個人的な見解や仮説も含まれています。
これらは必ずしも一般的な常識や専門家の意見と一致しない場合があります。
2,本記事、音声の内容は執筆時点のものです。
3,本記事や音声の内容を実践する際は、ご自身の責任で行ってください。
4.作者は、本記事や音声の情報に基づいて読者が取った行動の結果について一切の責任を負えません。
5,本内容は筆者の体験を書き残した記事をベースに、改めてその記事をClaudeにて整えたものになります。
※本記事のスライド資料や音源は、主にNotebookLMにて製作しています。
