むかしむかし──
まだ人々が氣と言葉で暮らしていたころ。

その村では、何かを手渡すとき、
お金のかわりに「氣のしずく」というものを使っていました。

氣のしずくは、
人の氣がよく震えたときに、
胸のあたりにほんのりと生まれる、光のつぶでした。

そのしずくを、誰かに渡すときはこう言います。

「これ、とても響いたよ。」
「これ、わたしの生きる氣になったよ。」
「ありがとう。」

しずくを受け取った人は、
その光を自分の手の中で大切に育てて、
また次の誰かへ──氣を循環させていくのです。

ある日、一人の青年が村で歌をうたい始めました。
その歌は、ことばはなく、ただ氣の音だけでできていました。

村人たちは、なぜか涙が出て、笑顔になって、
誰ともなく胸のあたりにしずくが生まれてきました。

青年は、ただうたいます。
誰かのためにではなく、自分の内側の震えに従って。

そして、その場にいたすべての人が、しずくを手にしてこう言ったのです。

「この歌に出会えて、よかった。」
「わたしはこの震えで、また生きていける。」
「だから、これを受け取って。」

青年は言いました。

「わたしの氣が、誰かのいのちに変わるなら、
それがわたしの商いです。」

それが、氣のしずくが
お金というかたちになったときの、
一番最初のお話です。

・・・

この氣のしずくを、この世界でよみがえらせること。

震えたら、渡す
喜ばれたら、受け取る
ありがとうの氣が、また誰かを照らす

お金を受け取るということは、
「ありがとう」を受け取るということ。
お金を渡すということは、
「生きててくれてありがとう」の氣を送ること。

世の中でこれが起きたら……
もうそれは、ビジネスとかじゃなくて、氣の巡礼になると思う。